[神奈備にもどる] 神奈備掲示板 [掲示板の使い方]
[ワード検索]
この掲示板に投稿された内容を、メールで受け取ることができます。
メーリングリストへの登録・削除は、サイト管理者宛にメールを下さい。
 
皆様から神社や古代のお考えのご紹介やご意見などを頂きたく思います。
 
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。復草木咸によく言語有り。
お気軽青草話 青草掲示板 
記憶に残る聖地の 神奈備別荘 は写真掲示板です。

おなまえ  (必須
Eメール  必空
URL
題  名 必須 アルファベットだけでは駄目よ、日本語でね。
内  容 (タグは使用できません。適当に改行してください
 (「内容」が空欄の場合、再読み込み になります

[9238] Re[9227]: 鉄について教えてください  素人 2008/08/08(Fri) 00:23 [Reply]
とみた様
書き込み有難うございました。
> 素人さん お付き合いありがとうございます。
> 要は、古代史研究としての鉄です。日本は明治に近代製鉄が入るまではタタラ製鉄ですね。
>

6世紀以前を考えるとき、鍛冶炉は重要と考えております。
鍛冶炉で鉄を造れるそうです。
ノロを出さないで海綿鉄を作り、一部を燃やして1,500℃以上の高温を作り、軟鉄を作る技術だと考えられます。
 6世紀後半洛東江の東岸地域から日本に移住した製鉄華僑が機微にもたらした製鉄技術がこれに近いものでした。(総社市秦村付近)純度の高い磁鉄鉱を用いて背の低い方形炉で低温で還元して海綿鉄を貯え最後に、温度を上げてノロを底に貯めてこの中に海綿鉄を一部燃焼させて、1,500℃以上の高温を作り融点の高い軟鉄をノロの中で塊状として不純物はノロ中に溶解して純度の高い軟鉄の鉄塊(塊錬鉄)を製造しており、古代からの直接法での海綿鉄精練の変形と考えております。
> 始まったのは6世紀と考えていいのでしょうか。
>
> 日本の製鉄は独特のようですが、これが古代の朝鮮の製鉄技術とか中国の技術と全く違うのでしょうか。
>

前に書いた、海綿鉄製造は中国では角型の背の低い炉で低温での直接還元で武器用の鉄の製造原料として実施されていたと聞きます。海綿鉄の溶解技術の進歩したものとしての角型炉での軟鉄の製造法は中国大陸から山東半島、遼東半島を経て洛東江の東岸地域そして日本に移住した製鉄華僑と共に吉備に伝播したと考えております。
これはたたらとは少し違う系譜のように考えています。(新しい技術と思われます。)

上記技術が吉備で鉄鉱石や砂鉄を用いた製鉄の中で徐々に温度が上がり浸炭も進んで角型炉でも変質していったようです。後に律令期に入って、吉備の技術と遣唐使によってもたらされた技術が、複合して塊錬鉄を作る技術、もっと温度を上げてイルメナイトを溶かして角型の幅の狭い炉で白銑鉄を作るようになった。大量に存在する海砂鉄を利用する間接製鉄は律令期の鉄需要の増加にこたえるものであったと考えています。大仏建立時の踏み鞴導入とこの鞴の製鉄への流用から砂鉄・角型炉・踏み鞴のたたらの3点セットがそろったと考えています。この辺でたたらが完成したと思います。玉鋼は江戸期の大発明です。これには特に良質の山砂鉄が必要不可欠です。


朝鮮・中国ともに主力は縦型炉円筒形の炉に大きな円錐状の1本の羽口が下向きに差し込まれたような独特の溶鉱炉です。強力な鞴で空気を吹き込みました。高温の炉のために、出来る鉄は白銑鉄で液体の鉄で間接製鉄法でした。
この白銑鉄を一番簡単な脱炭素技術は日本で行われていた部分溶解での脱炭素法である下げ場の技術などが、とくに初期は行われていたと考えています。
青草ですが、1部だけ書いてみました。
単純ではないようです。

[9237] Re[9235][9232]: ツヌガアラシトとアメノヒボコ  佐々木 2008/08/07(Thu) 22:32 [Reply]
> >  少し信じがたいのですが、地形的には上町台地は千里山の島熊山から連続する台地でした。
>  ネットで見ていますと、約40万年前〜20万年前は地殻の六甲変動の最盛期で、断層によって、六甲や生駒山地が出来たそうです。千里は地下に深所の花崗岩体の隆起によりでき、この隆起は豊中市島熊山付近を頂点として南の上町台地、和泉の線に行われているようです。地下の深い花崗岩が上がってきたということですね。

 書き込み中に落雷で、中途半端になりました。申し訳ありません。

 浪華百事談によると元禄年間に天探女命の磐船の地はどこを掘っても岩盤にあたりそうで、また井戸を掘ったものは病気なったとか。近鉄や千日前線の工事ではどうっだったのでしょう。
 とくに小橋町の北は寺が多く、南は大規模病院が多く立地します。
 大阪冬の陣では真田丸の前面で、小橋篠山の前田利常軍で100名以上の死者がでたところ。なんとなく怖い場所です。
 
 http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/3940024.shtml

[9236] 浪花の祈り 天の探女と御伽草子  神奈備 2008/08/07(Thu) 15:48 [Reply]
 天の探女が祀られている神社は浪花にはなく、岐阜県美濃市(美濃国武儀郡)に二社あることは前に紹介しました。
 大矢田神社摂社華堂神社「下照姫命、櫛名田姫命、天探女命」
 誕生八幡神社「應神天皇、天探女命」
 
 これは、高天原の方針<葦原の中つ国は倭が御子の統治する国>に基づいて、多くの荒ぶる国つ神に方針を受け入れさせるため、先ず天の菩比の神が派遣されたのですが、大国主の神に媚びつい返事もよこさないありさま。

 続いて、天津国玉の神の子天若日子が遣わされたのです。天若日子は大国主の娘の下照比売を娶り、八年も高天原に返事もしていなかったのです。
 
 天若日子の様子を探りに来た雉子名鳴女なる鳥神が天若日子の家の前の湯津楓の上にとまって天つ神の命令を言いました。天の探女は天若日子をそそのかして鳥神を矢で射殺させてしまいます。その矢が天上に届き、天上の高御産巣日神がその矢を投げ返して天若日子の胸に命中、天若日子は死んでしまいます。

 天若日子の葬儀の席に現れた下照比売の兄である阿遅志貴高日子根が天若日子によく似ていたので、親兄弟は生き返ったと思い、取りすがったのです。死人と間違えられたと怒った阿遅志貴高日子根は喪屋を切り伏せけっ飛ばしてしまいます。それが落ちたのが美濃国の藍見河の河上でした。長良川の上流ということ。

 美濃国には天若日子と下照比売が国作りを行い、人が住めるようにしたとの伝承を持つ神社(上神神社)も鎮座しており、天若日子一族が移り住んだとの伝承が残っていたのでしょう。天の探女も一緒に来ているようでほほえましいことです。

 室町期に出来たと思われる御伽草子の中に瓜姫物語があります。天の探女が悪役で登場しています。

 瓜から生まれた実に美しい娘が守護の嫁になることを耳にしたアマノサグメが娘と入れ替わっていい目にあおうとして、瓜姫を高い木の上に縛り付けて、自分は瓜姫の着物を着ておさまっていました。
 瓜姫の嫁入り行列が高い木の下を通った時、上から瓜姫の声が聞こえ、アマノサグメが入れ替わっていたことがばれたのです。
 アマノサグメは大和国宇陀のへのはしに連れていかれ、足や手を引き抜かれて捨てられたのです。アマノサグメは細かい塵になって消えてしまったので、世の中は静かになったそうです。
 またアマノサグメの血に染まって、薄の根もとは赤く、花の出始めも赤く、いろづいているとかいうことです。

御伽草子の中に天稚彦物語もあります。これは後ほど。

[9235] Re[9232]: ツヌガアラシトとアメノヒボコ  神奈備 2008/08/07(Thu) 15:45 [Reply]
> この動きは文武?が、紀伊の日前や国懸神社を分社したのと似ている神社政策と思いますが如何でしょうか。

 『続日本紀』大宝二年(702)文武天皇の時で、伊太祁曽・大屋津比売・都麻津比売の三社を分ち遷す」とある記事のことを言われているのだと思います。

 地方の有力な神社に対する中央からの干渉、例えば、皇室の祖先神を祭神にとか、神々を分遷して勢力を削ぐとか、色々なことが行われたことでしょう。国造達の独自の力を削ぐ政策の一環だったのかも。

 紀の国では、元々名草郡にあった須佐神社を在田郡に遷したと思われ、かつその御子神達の伊太祁曽神などを分遷させています。


>  少し信じがたいのですが、地形的には上町台地は千里山の島熊山から連続する台地でした。

 ネットで見ていますと、約40万年前〜20万年前は地殻の六甲変動の最盛期で、断層によって、六甲や生駒山地が出来たそうです。千里は地下に深所の花崗岩体の隆起によりでき、この隆起は豊中市島熊山付近を頂点として南の上町台地、和泉の線に行われているようです。
 地下の深い花崗岩が上がってきたということですね。

[9234] Re[9233][9231]: 姫島  mai nakahira 2008/08/07(Thu) 12:59 [Reply]
神奈備さま

黒曜石が採れたのですね。
ようやく、鹿児島県の「上野原遺跡」の資料をきちんと読みました。
縄文早期から、南九州にはスンダランド系の縄文人がいたもよう。
姫島は島なので、遠くからも人が来たでしょうね。

> 写真家の「ようこそ三宅岳のホームページへ」に載っています。
> http://homepage3.nifty.com/GAITEN/page064.html
>
わたしが見つけたHPはこれです!
石棒は、祠の中じゃなくて、割れ目の奥だったのですね。
さすがに祠の裏は、恐れ多くてのぞけませんでした。

> この方も日矛の末裔なのかも。

それ、面白いですね。
私たちも名草に関係あるのかな?
>
> かまどさんに逢われたとか、いいお話を聞けたことと思います。よかったですね。

ありがとうございます。
かまどさんは、とても知的でほんわかムードのいい方でした。
>

[9233] Re[9231]: 姫島  神奈備 2008/08/07(Thu) 11:42 [Reply]
mai nakahira さん、こんにちは。

> 古層の信仰の上に、新羅などの女神伝承が乗っかって来た感じがします。

この島は黒曜石が採取されていたそうで、古く縄文時代から人々が行き交っていたのでしょう。
渡来系の神々は、そのような古い信仰の上に多いかぶさったものがおおいのかも。

写真家の「ようこそ三宅岳のホームページへ」に載っています。
http://homepage3.nifty.com/GAITEN/page064.html

この方も日矛の末裔なのかも。

かまどさんに逢われたとか、いいお話を聞けたことと思います。よかったですね。

[9232] ツヌガアラシトとアメノヒボコ  とみた 2008/08/07(Thu) 11:17 [Reply]
ツヌガアラシトとアメノヒボコは同一人物でしょうか。

ツヌガアラシトは、日本海沿岸を通り、角鹿(敦賀)へ、角の生えた人となっていますが、牛の角か天冠か。

意冨加羅の王子なら、金官伽耶で慶尚南道。金海地方です。

こちらは皇子が牽く牛を村役人にとられて食べられた代償に、白い石をもらってそれが若い女性に変じた。

アメノヒボコは新羅の王子。慶尚北道の出、今の慶州でしょう。

こちらは、沼のほとりで女が、日光に感精して赤い玉を産んだのを牛を牽く男が、見つけて大切に保管していた。王子がその男に出あい、牛殺しと疑われた男は許しを得ようと赤い玉を差し出した。それが若い女性に変じた。王子は瀬戸内海を通り、但馬に着く。

二つの話は似ているようでもあり、似ていないようでもある。若い女性が逃げてきて王子がそれを追ってきたことと、難波のヒメコソ神社は共通。

両方とも牛に関係がある。殺牛儀礼に関係するかも知れません。

一方は越前気比であり、他方は但馬出石である。

日本海には何れにせよ、新羅と深いつながりがある。

越前の九頭竜川の支流の日野川は元の名が、叔羅川(シラキ川)でその源流には、信露貴山(シラキ山)がある。新羅神社や白木神社もあるでしょう。

九頭竜川流域には丸岡や永平寺町の松岡古墳があり、松岡の二本松古墳出土の天冠は大伽耶のものと酷似している。九頭竜川河口部で交易を盛んにした三尾氏などの豪族が栄えその墳墓が丸岡や松岡にあるのでしょう。大伽耶は4世紀末までは意冨伽耶を意味し、5世紀半ばから北西の高霊が栄えてこちらが大伽耶と云われます。大伽耶の天冠には角見たいな枝がある、金銅(金メッキ)冠で二本松の天冠に似ている(これは5世紀後半の墓です)。敦賀に上陸した角のある人と関係があるかも知れません。

因みに、丸岡は継体天皇のお母さんの振媛の里です。

敦賀の越前一宮の気比神社は、元々はツヌガアラシトを祭神としていたのを、律令時代になって文武天皇が702年に、ツヌガアラシトを摂社の角鹿神社に移し、気比神社には、神功皇后と仲哀と応神を祭ることにした。

この動きは文武?が、紀伊の日前や国懸神社を分社したのと似ている神社政策と思いますが如何でしょうか。

ところで、気比神社にはアメノヒボコをどこか摂社にでも祀っていましょうか??


[9231] 姫島  mai nakahira [Url] 2008/08/07(Thu) 00:00 [Reply]
神奈備さん、こんにちは。

前回の旅行で、姫島のヒメコソ神社に行ってきました。
姫島は、白い玉の伝承のほうですね。

ヒメコソ神社の奥には、巨大な岩があって、
その岩の割れ目に小さな石の祠があります。
扉は閉まっていましたが、中には石棒が入っているはず(ネットで拝見しました)。
ものすごく古いのアニミズム信仰を感じるところでした。
古層の信仰の上に、新羅などの女神伝承が乗っかって来た感じがします。

フェリー乗り場の近くに神功皇后の八幡宮があり、
確かアカヒルメ命が祀られていたと思いますが、
自転車移動で疲れ切っていて、行きそびれました〜。

[9230] Re[9229]: 浪花の祈り 天の探女と比賣古曽神  佐々木 2008/08/06(Wed) 17:24 [Reply]
> 天探女命の乗ってきた磐船は現在は土中に埋まってしまっているようです。

 磐座が上町台地に多いので、物理探査の資料を確認してみました。
 少し信じがたいのですが、地形的には上町台地は千里山の島熊山から連続する台地でした。また上町台地で岩盤が露出していてもおかしくはないようです。
 岩を誰が持ってきたのか関心があったのですが、どうもそのあたりに岩盤があったのでは考えるべきなのかもしれません。

[9229] 浪花の祈り 天の探女と比賣古曽神  神奈備 2008/08/06(Wed) 14:03 [Reply]
 天探女命の乗ってきた磐船は現在は土中に埋まってしまっているようです。江戸時代の『摂津名所図絵』には、産湯稲荷(小橋公園)、磐船山、味原池、姫古曽神社などが鳥瞰図的に描かれています。所が現在、磐船旧蹟の石碑は、少し北側に当たる天理教阪府分教会の敷地内に置かれています。

 その『摂津名所図絵』には、磐船こそ、比賣古曽大神の御正躰也、磐舩土中に蔵(かく)れ満しましいる、よって比賣語曽(姫蔵)と言うとあります。ここでは比賣古曽神=天探女としています。さらに、比賣許曽神社の祭神を下照比賣命とし、「大巳貴命の御女にて天稚彦命の妻、味耜高彦根命の妹なり、亦の名稚国玉媛或は天探女とも號す。」としています。 

 天探女に加えて比賣許曽神と下照比賣神とが登場して来ました。摂津国東生郡では、比賣許曽神とは渡来系の赤留比売神であり、鴨氏の下照比売神となっているのが混乱の元なのです。
 
 少し整理をしておきます。
 『古事記』(仁徳記)に、昔のこととして、天の日矛についての記載があります。新羅の国の王子だった天日矛が、日光で懐妊した女が生んだ赤玉を手に入れます。これが美しい乙女に変わり、妻にします。妻がよくつくしてくれるのをいいことに心奢って妻を罵ります。妻は「私は汝の妻になるような(程度の低い)女ではない。吾が祖の国に行く。」と宣言、難波に留まったのです。「比売碁曽の社に坐す阿加留比売と言う神です。」との注が続いています。

 『日本書紀』(垂仁紀)に、よく似た話が載っています。「都怒我阿羅斯等が手に入れた白い玉がきれいな娘になったのですが、ちょっとしたすきに娘はいなくなり、難波に至って比売語曽社の神となった。」とあります。

 記紀からは比売許曽神とは、半島で赤玉や白玉が変じた女神のことで、一つの名は阿加留比売と言うことがわかります。

 所が、平安時代の10世紀初めにまとめられた延喜式神名帳に、摂津国東生郡に比売許曽神社の名が載っています。その延喜式の臨時祭では、比売許曽神社一座亦号下照姫とあるのです。比売許曽神を下照姫とも言うとあるのです。

  それより半世紀早くの貞観元年に摂津国従五位下勳八等下照比女神従四位下としたと出ています。難波生国魂神・下照比女神・坐摩神の順で書かれているのです。この下照比女神は東生か西生と見るべきで、川部郡とは読みにくいところです。平安時代には難波の比売許曽神は下照姫となっています。

 鴨の女神である下照姫が渡来系の阿加留比売であるはずはないのです。下照姫としているのは間違いなのです。何故ならば、比売許曽神・阿麻美許曽神社の許曽は朝鮮語の社で伊太祁曽神の祁曽にも通じ、渡来系の神(阿麻美許曽神社は素盞嗚尊・伊太祁曽神社は五十猛神)を祀る神社にこそつく許曽・祁曽と思われるからです。
 
 現在の三光神社の地は姫山と言われます。おそらくはこの山に下照姫が祀られていた所、鴨氏の力が衰えて来た5世紀頃に多くの渡来人がやって来て、ここに阿加留比売を逢わせ祀ったことがあり、やがて二神は習合していったというか、下照姫の名が忘れ去られたということがあったのでしょう。

[9228] 豊中歴史同好会のお知らせ  神奈備 2008/08/06(Wed) 09:50 [Reply]
2008 8 9 第2土曜 14〜16時  ¥千円。
会場:豊中市教育センター(阪急宝塚線蛍池駅すぐ西。ルシオーレビル6F。南西角の エレベータで上がる )

講師 枚方市教育委員会 西田敏秀氏
演題 5世紀のヤマト政権と北河内

http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2008.html

[9227] 鉄について教えてください  とみた 2008/08/06(Wed) 07:19 [Reply]
素人さん お付き合いありがとうございます。
要は、古代史研究としての鉄です。日本は明治に近代製鉄が入るまではタタラ製鉄ですね。

始まったのは6世紀と考えていいのでしょうか。

日本の製鉄は独特のようですが、これが古代の朝鮮の製鉄技術とか中国の技術と全く違うのでしょうか。

まあ、燕の国で鋳鉄が春秋時代に始まり、戦国時代に普及したけれども農具用鉄で、戦国末期になって、脱炭技術が進んで武器にも使われる丈夫な鉄になった。

朝鮮では初期鉄器時代は紀元前3世紀に始まったとされています。

高句麗が強くなったのは、炒鋼法を学んでからといわれています。

鉄は炭素の含有量が少ないのが塊練炭で加炭して鋼に、

銑鉄は炭素が多すぎて脱炭して鋼にするわけでしょうが、いずれも温度が適当でないと可鍛出来ない。

可鍛状態でしか鍛造できないのですね。日本は
砂鉄を利用し始めるのが6世紀、そのために鉄穴(カンナ流し)で山の砂を崩しては川に流して鉄分を沈殿して砂鉄をとったのでしょう。

それとたらら製鉄は連動している。

吉備でははじめは鉱鉄を使っていたらしい。

何れにせよ日本の製鉄は6世紀に始まる。それまでは高師小僧という水草に付着した褐鉄を不純物の入ったまま、低温度で取り出して鉄を利用したかも知れない。

ましな鉄は、鉄素材を弁辰(伽耶や新羅)から輸入して鍛治技術で農具を作っていた。

このように思っているのですが、その辺りを技術的にフォローしていただきたいのです。



[9226] Re[9224]: 素人さん 鉄について教えてください  素人 2008/08/05(Tue) 23:52 [Reply]
とみた様
書き込み有難うございました。
> 素人さん、とみたです。
>
> 素人さんは、鉄を深く研究なされています。古代史を究めるには鉄についてある程度知る必要を感じています。
>
> 愚問を率直に並べますのでお教えください。割り込みで、どなたかの教示もいただければ幸いです。シリーズになろうかと思います。鉄については何せ私は素人です。この場を借りて、多少は知識を整理できればありがたいです。
>
> 先ず、日本の製鉄炉と中国の製鉄炉や朝鮮の製鉄炉はつながりがありましょうか。
>
> 白銑鉄、焼き入れ、焼き戻しが分かりません。

炉の問題は複雑ですからあとにして、鍛冶の基礎ですが刀鍛冶の方が貴重な秘伝の一部を公開されているWebが有りますので、一通り読まれると非常にためになります。

特に「下げ場」脱炭素の技術が重要です。たたらで造った鋳鉄は白銑鉄です。鋳造して脱炭素すると可鍛鋳鉄になります。鍛造できるようになります。問題は温度管理。
 近代化した、たたらで白銑鉄を造り、「下げ場」で脱炭素して鋼や包丁鉄を造られています。炭の使い方(種類、大きさ)など貴重な技術が満載です。古代につながる技術です。
http://www.eonet.ne.jp/~sumihira/
なかなか公開して戴けない部分ですので、非常に貴重です。
いつも参考にさせていただいております。

[9225] 浪花の祈り 天(あま)の探女(さぐめ)  神奈備 2008/08/05(Tue) 16:49 [Reply]
 アマノジャクのルーツの女神。

 万葉集 巻三 二九二
 録兄麻呂(ろくのえまろ)が歌四首(よつ)  近江朝の人
 久方の天(あま)の探女(さぐめ)が岩船の泊てし高津は浅(あ)せにけるかも

 遠い天上からやって来た探女の石船が着いたという高津は浅瀬になってしまった。

 奈良時代末には難波堀江も土砂で浅くなってしまい、遣唐使船が座礁したと云います。


 『続歌林良材集』津の国の風土記にいう
 難波の高津は天稚彦が天くだった時、天稚彦についてくだった神、天(あま)の探女(さぐめ)が、磐船に乗ってここまで来た。天の磐船が泊まったというわけで、高津というのだ、と。云々。

 先の石船や磐船は、神の乗り物である船を云うのであって、石で出来た船と云う意味ではありません。要は、海上を航行して来たのです。

『続歌林良材集』は17世紀央の書物であり、上記引用は古代の風土記の逸文とするには疑問があると、『大阪市史』では述べています。

 
 『古事記』では天若日子、『日本書紀』では、天稚彦とされる神で、国譲りを促すべく、高天原から大国主のもとに差し向けられたおそらくは美男の神がいます。
 天(あま)の探女は、天若日子に付き添って共に浪花にやって来た侍女・乳母・スパイのような役割の女神だったのでしょう。
 『日本書紀』では、何故か、天の探女を国神としています。

 国譲りの推進役のはずの天若日子はいっこうに復命もせず、天上から雉子名鳴女なる鳥神を様子を見に派遣、この時に、天の探女は天若日子をそそのかして鳥神を矢で射殺します。おかげで、天上の高御産巣日神がその矢を投げ返して天若日子の胸に命中、天若日子は死んでしまいます。

 天探女命は美濃国武儀郡(岐阜県美濃市)の
 大矢田神社摂社華堂神社(はなどじんじゃ)「下照姫命 櫛名田姫命 天探女命」
 誕生八幡神社「應神天皇 天探女命」
 に祀られています。何故、美濃か、これは後ほど。

[9224] 素人さん 鉄について教えてください  とみた 2008/08/05(Tue) 12:03 [Reply]
素人さん、とみたです。

素人さんは、鉄を深く研究なされています。古代史を究めるには鉄についてある程度知る必要を感じています。

愚問を率直に並べますのでお教えください。割り込みで、どなたかの教示もいただければ幸いです。シリーズになろうかと思います。鉄については何せ私は素人です。この場を借りて、多少は知識を整理できればありがたいです。

先ず、日本の製鉄炉と中国の製鉄炉や朝鮮の製鉄炉はつながりがありましょうか。

白銑鉄、焼き入れ、焼き戻しが分かりません。

[9223] Re[9222]: 焼け土?  素人 2008/08/05(Tue) 00:32 [Reply]
全体写真では。
気持ち赤いような気がする。
東北電力原町火力発電所の工事中の写真
http://www.culture-center.fks.ed.jp/event/kodai/kahatsu3.jpg
http://www.culture-center.fks.ed.jp/event/kodai/seitetsuiseki.htm
製鉄遺跡の写真ではあまり紅くない。
地山はこの辺では、レンガ色の土はなかったように記憶しています。

[9222] 焼け土?  素人 2008/08/05(Tue) 00:18 [Reply]
神奈備さま
書き込み有難うございました。

>
> 素人さん 製鉄と万葉の歌
>
>  所で、真金と丹生とが揃って出てきますと、水銀でアマルガムを作って純金を得る作業を思い起こします。巻14・3560の歌は、心を丹生の赤土にたとえたものですから、物理的な辰沙がある必要はないのでしょうが、丹生の真朱と来て福島県とするのは、いささか根拠が弱いような思われますね。
>
地名と大和朝廷の官営製鉄所と見られる大規模な長期にわたった製鉄遺跡から特定されたようです。地質の調査をしますと時々焼け土が出ますが、レンガ色をした赤土だったりします。広大な地域に製鉄炉と炭焼きの窯が連なった遺跡のようですから、窯跡は焼け土の連続で、レンガ色の赤土が山を覆っていたと思われます。勿論、炭用の雑木の伐採で山は、はげ山となっていて赤い山肌がむき出しになっていたのでしょう。煤で黒いなどと言われると困りますが。さらに、製鉄遺跡の発掘写真ではあまり紅くないので心配もあります。
少し色は違いますが、「丹生の真朱」に例えたのではと夢想します。

[9221] Re[9220][9218]: 出雲湯殿山神明宮  佐々木 2008/08/03(Sun) 10:45 [Reply]
>  出雲湯殿山からの連想ですが、ついでに。
>  前に紹介されていた『馬・船・常民』に寺社が海路を支配していたことが述べられています。平安・鎌倉期。
>  瀬戸内海 石清水八幡宮、賀茂社・鴨社
>  山陰   石清水八幡宮
>  北陸   日吉
>  太平洋  伊勢、熊野
 非常にすっきりしました。
 佐々木氏による石見出雲守護は鎌倉以降、その後石見銀山が開発されます。その関係で出雲船が現れたのかもしれません。
 熊野・浅草は熊野別当家も、最初の武蔵守護平賀氏も清和源氏つながりかもしれません。
 北陸の日吉は最初の守護比企氏?
 倭寇は、「八幡船」といい、些少でも石清水八幡宮さんと関係があるのでしょう。
 そういえば紀伊国屋さんは深川神明の寄進だった?

[9220] Re[9218]: 出雲湯殿山神明宮  神奈備 2008/08/03(Sun) 09:23 [Reply]
> この考えでいきますと、熊野発浅草は、紀伊国屋さんの廻船が関係しているのかもしれません。

 浅草寺創建は推古天皇の時代とされていますが、文献では鎌倉時代の『吾妻鏡』には出ているとのこと。

 出雲湯殿山からの連想ですが、ついでに。
 前に紹介されていた『馬・船・常民』に寺社が海路を支配していたことが述べられています。平安・鎌倉期。
 瀬戸内海 石清水八幡宮、賀茂社・鴨社
 山陰   石清水八幡宮
 北陸   日吉
 太平洋  伊勢、熊野


素人さん 製鉄と万葉の歌

 所で、真金と丹生とが揃って出てきますと、水銀でアマルガムを作って純金を得る作業を思い起こします。巻14・3560の歌は、心を丹生の赤土にたとえたものですから、物理的な辰沙がある必要はないのでしょうが、丹生の真朱と来て福島県とするのは、いささか根拠が弱いような思われますね。

[9219] 製鉄と万葉の歌  素人 2008/08/03(Sun) 01:32 [Reply]
万葉の歌の話が出ていましたが、東北の万葉集の歌を見つけました。

真金(まがね)吹く丹生(にふ)の真朱(まそも)の色に出で言はなくのみそ吾が恋ふらくは(巻14・3560)

前にご紹介した福島県南相馬市の金沢製鉄遺跡付近(真吹)で詠まれた歌のようです。
こんな山深いところの歌も万葉集に載っているようです。
東北の古代製鉄の地と都の関係もかなり濃厚であったと思われます。
不純物の多い海砂鉄を原料として高温で白銑鉄を作り、大鍛冶で脱炭素して鋼や包丁鉄を製造していたと思われます。もちろん、鋳造も。
海路、都に鉄も運ばれたのでしょうか。
真金(まがね)吹くですと吉備のようですが。
行方評 654年分置
行方郡:吉名・大江・多珂・小鶴・真吹・真野
万葉の碑 ミンユウネット
http://www.minyu-net.com/serial/manyou/080130/manyou.html 

[created by Light Board modified by 玄松子]