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| [4404] 結婚披露宴はなかった 生田淳一郎 | 2008/08/21(Thu) 07:09 [Reply] |
| その件は会話がはじまってすぐのとき、オレの考えは申し伝えています。 言う必要もないかもしれませんが、ポイントを追加します。 ★ 新しいカップルはふつう、結婚披露宴をあげて世間から、セ〜ノドンとその出発を、みとめてもらいますが、一定言語の出発時点などはまず無い。仮りにあったとしても、披露宴などやらない。 ★ 20年前はゆっくり数えて約 1万の言語がありました。古今東西を通じての人類の言語は 500万あったと置いて、考えてみたらわかりがはやい(極端の法則)。 一つの言語を構成する数万の語彙の一つひとつは、その言語固有みたいにしてこびりついているものではなく、ヨメさんの移動や交易などの風にのっかって、数十数百の言語に、出没するという性質を持っている。 ★ そういうことよりも、オレがイの一番に訴えたことも、とんとお忘れのようですな。 『異質の言語観に会った個は、さながら T細胞 b細胞(免疫)みたいになって、シャカリキにその相手を共同棲息領域から排泄しようとする』です。 オレとの会話は、もう取りかえしができない。終わったわけですが、別の新しい人へ接するときには、十分ここにご留意ください。 | |
| [4403] Re[4402][4401][4400][4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視 佐々木 | 2008/08/20(Wed) 10:27 [Reply] |
| > 持論の場合は自然環境の状況から日向〜宮崎が妥当であろうとみて、魏志倭人伝の記述もそれに矛盾しないと考えています。 宮崎平野大淀川流域では外山秀一先生が花粉分析結果を見ると、邪馬壹国の時期に、ヤマモモ、クリ(:5%↑10%)、ソバの花粉が急増しています。人口の増加と栗園の拡大を意味するのでしょう。 この時期出雲ではクリの比率(:20〜30%↓3%)と激減します。 | |
| [4402] Re[4401][4400][4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視 かたばみ [Url] | 2008/08/19(Tue) 23:52 [Reply] |
| 知る限りでは、昔からある邪馬壹国日向論は魏志倭人伝の距離と方位の解釈からの比定と思います。 持論の場合は自然環境の状況から日向〜宮崎が妥当であろうとみて、魏志倭人伝の記述もそれに矛盾しないと考えています。 縄文〜弥生〜古墳時代(初期)での人間の行動は自然環境に支配されていたと考えています。 弥生温暖期に存在した関東の稲作は弥生末期には衰退しています。 東北の水稲も近畿より早くに行われたとみえるのにやはり消滅します(弘前市砂沢遺跡)。 東北にまで稲を持ち込む必要はまだないはずですが・・そこに拠点を必要とする人々が運ぶなら・・鉄(^^; 弥生後期は寒冷の時代であったことは安井喜憲先生の花粉分析などが示します。 http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/kf99.html 自然環境の変化が人間の行動の引き金になっている。 宗教戦争(≒狂気)と支配者の欲望を除き、食い物がたっぷりあれば殺し合いなどしないでしょう。 しかし寒冷の時代となって食料不足となれば混乱や争乱が起きる。 文言での資料は新羅本紀に以下のごとくが登場し始めます。 145 飢饉となり南部が飢える 173 倭の女王卑弥呼の使者来訪(これを嘘だーというだけなら簡単ですけど(^^;) 193 倭人が大飢饉となり避難民到来 大都市で食糧供給が止まったら暴動となり食料避難民が発生する。 弥生後期の九州北部など人口が急増していた地域でそれが生じた、これが倭国争乱の主因だと考えています。 人口がそれほど多くはなく温暖で食糧問題の生じにくい地域、日向〜宮崎。 周囲とは険しい山で遮断されて安定した地域、「倭国連合」のなかで指導者を輩出できるのはここだけだったと考えています。 喧嘩になりうるのは南の大隅半島の隼人族、むろんこれが狗奴国(生活様式が異なるための反目)。 九州以東では・・人口はそれほど多くはなく開拓できる余地もあって特段の争乱は起きなかった(≒出雲文化圏)。 奈良は奈良湖干拓(^^;で広大な農地がある。 東海は日照時間が最も多い地域、近畿から東海への進出(先住者との若干の抗争≒朝日遺跡)。 食糧不足にあえぐ九州勢力にはのどから手の出る東の土地・・これが東への侵略、言葉を飾るなら東征。 では、九州に倭国連合(九州統一)ができる以前は・・ 魏志倭人伝にはふたつの奴国が書かれています、これがキーワードだとみています。 加えて多数書かれる「なになに奴国」、この奴国の意味もキーワードと思います。 | |
| [4401] Re[4400][4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視 佐々木 | 2008/08/18(Mon) 10:53 [Reply] |
| 「卑弥呼の謎を解く―邪馬台国は日向にあった」 ブイツーソリューション (2008/02) という今年出ましたが、これひょっとして。。。。 すばらしいGIS画像でした。魅了されました。 | |
| [4400] Re[4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視 かたばみ [Url] | 2008/08/18(Mon) 09:30 [Reply] |
| さっそく遺稿とみえる部分を通読しました。 遺稿は最初の部分のようですが、邪馬臺国の位置論に書かれること、大事だと思います。 歴史的前後関係を考えること、これも大事なことだと思います。 固執しない解釈と自然な前後関係を見定めること、これが遺言と拝見しました。 | |
| [4399] PONTAの邪馬台国説 ぽんた | 2008/08/18(Mon) 02:23 [Reply] |
| PONTAの考えは、「邪馬台国は「やまと国」と読んで、北九州の山門郡のことです。で、北九州諸国の連合国家が「倭」(正しくは「わ」で、正しい当て字は「和」)で、その首都は大宰府にあり、邪馬台国の卑弥呼が大統領だった」です。 あとは神社考古学の原田氏と同じ。出雲王国が日本を統一しようとして戦争を初め、九州王国(倭)に攻め入って、北九州に陣を敷いた。南下して日向(ヒムカ。宮崎)に逃げた卑弥呼(後の天照(アマテラス)大神)をスサノオは追い、卑弥呼を現地妻とする。で、その子孫が神武天皇。一方、北九州から南下しないで東に向かったスサノオの子のオオトシは、大阪に入ってニギハヤヒと名を変え、天照(アマテル)大神と呼ばれる存在となった。後に九州王国の神武天皇が、近畿王国のニギハヤヒの子孫を妻とすることで、奈良を首都とする「大和」が建国された。 一応、これで西日本が統一されたわけですが、旧出雲王国系勢力(蘇我氏、物部氏)と旧九州王国系勢力(天皇家)の争いは続き、完全に西日本が統一されたのは、物部氏が倒され、蘇我氏が倒されてのことで、完全統一の記念に「日本書紀」(卑弥呼=天照(アマテラス)大神を祖とする旧九州王国系の天皇家の歴史書。旧出雲王国勢力の蘇我氏や物部氏は悪役(倒すべき存在、倒されて当然な存在)として書かれている)の編纂が始められた。ということで、西日本の完全統一は「日本書紀」の編纂が始まった天武天皇の時代かな。天智天皇の時代は二朝並列説もありますからね。 日向(「ヒムカ」。後に「ヒュウガ」と読み方を変えた)が卑弥呼(倭人が「ヒムカ」と言ったのを聞き間違えて「卑弥呼(ヒミコ)」と表記?)の国、豊国(後に豊前国、豊後国に分けられた)が台与(トヨ)の国とすると、宇佐八幡宮や豊国の神である「比売大神」の正体は台与かな。台与は、神功皇后のこと。だから「日本書紀」の神功皇后のところに、「魏志倭人伝」の引用を載せたとか。「神功皇后=台与、神武天皇=卑弥呼の子孫」とすると、ここからも、「日本書紀」では、天皇家の歴史を長くするために(神武天皇の即位を紀元前660年と設定したために)苦労して歴史を書き換えたんだなぁ、編集に長い年月を必要としたわけだと、思います。実際には700年間の出来事を1400年間の出来事として、引き伸ばしたんでしょうね。 | |
| [4398] Re[4397][4340] 安閑石 かしこ | 2008/08/17(Sun) 13:16 [Reply] |
| もうひとつだけ青草を失礼します。 この angkan は ankh-amen にも繋がっていはしないかどうか。 Tut-ankh-amen の名にもある ankh(命)と amen(amon/amun)神です。 | |
| [4397] Re[4340] 安閑石 かしこ | 2008/08/16(Sat) 09:28 [Reply] |
| ここには蝶が刻まれているとして、佐々木さんはこれを「誕生」とされました。タガログ語 angkan は「家族・血筋・親子」。結び付けたくなりますね。 安閑・安康という言葉は、元々は「わが一族よ安かれ」の意味だったのかも。 | |
| [4396] Re[4395][4394][4391][4390]: 霊視 とみた | 2008/08/15(Fri) 10:09 [Reply] |
| 門脇先生の御遺稿はこれだと思います。 > 邪馬台国と地域王国 門脇禎二著 四六判 上製 カバー装 348頁 > > 書評の一部の抜粋「持論である「地域王国論」の立場から『倭人伝』を丹念 門脇先生は、おいくつで逝去なされいましたか。 森浩一先生も80歳近くで、今までの自分の研究成果を、纏めて、遺言めいた作品が多くなりました。 後継の人たちへの宿題として、託されているのだと思います。 門脇先生の出雲の本は大分読みましたが。 地域王国に賛同しますね。勢力の強い国には、6世紀の安閑時代前後&以降に、屯倉という大和朝廷の直轄領の形で楔を入れて、勢力を削いであったと私は考えています。(古代ギリシャ神話のミケナイがトロイの木馬を牽き入れて侵略させたのと同様にです。) 筑紫の磐井戦争で、糟屋の屯倉を。武蔵国造の乱で、毛野国に屯倉を。吉備白猪と児島に屯倉を。 屯倉に蘇我氏や秦氏、船・津・白猪などの渡来人の計数・文書に明るい人たちを派遣し、壬生氏や吉士を入れて朝廷の勢力を拡大したのではと考えています。 霊視で雲南がでてくるのも、不思議です。私も雲南と四川と倭人との関係は多いに注目しています。 田原本町の清水風の絵画土器に描かれる鳥装の巫女は、四川の大地震のあったシ文川(ブンセン)のチベット族=羌族の風習に現存しています。 男の性を決めるy性染色体の研究では、日本人とチベット人が近いんだそうです。 雲南のハニ族(タイのアカ族)の高床式住居と、千木、鰹木と鳥居は日本とそっくりです。 四川省は鵜飼いでも有名です。 四川省は古代の蜀で蜀は蚕の象形文字です。四は蚕の目を表わしています。 | |
| [4395] Re[4394][4391][4390]: 霊視 佐々木 | 2008/08/14(Thu) 20:54 [Reply] |
| はじめまして。 門脇先生の御遺稿はこれだと思います。 邪馬台国と地域王国 門脇禎二著 四六判 上製 カバー装 348頁 定価2940円(税込) 978-4-642-07989-1 今年6月の新刊となっていますが、ごく最近ではないかと。 書評の一部の抜粋「持論である「地域王国論」の立場から『倭人伝』を丹念に読み込み、大和説と訣別し北九州説を主張する。」とりいそぎ。 | |
| [4394] Re[4391][4390]: 霊視 かたばみ [Url] | 2008/08/14(Thu) 19:04 [Reply] |
| 門脇禎二先生が亡くなられましたが、NHKのニュースによると邪馬臺国畿内説であったのを遺稿では九州説に修正されているそうです。 宮崎市出身につき霊感を得られたのかも(^^; 遺稿が公開されることを期待しています。 (私はずっと日向〜宮崎説、修正の可能性はいまのところゼロ(^^;) | |
| [4393] Re[4392][4391][4390]: 霊視 佐々木 | 2008/08/13(Wed) 20:33 [Reply] |
| > 邪馬台国運動は九州筑紫平野に起こり、奈良盆地に闘争本部?を置いた時点で終焉したと考えますがどうでしょうか? 琉球松さん その闘争本部という表現面白いです。でもちょっとわかりにくい。 しかし霊視の結果では卑弥呼はんは、神夏磯媛というばばのことになるのでしょうか。 | |
| [4392] Re[4391][4390]: 霊視 琉球松 | 2008/08/13(Wed) 18:36 [Reply] |
| 邪馬台国運動は九州筑紫平野に起こり、奈良盆地に闘争本部?を置いた時点で終焉したと考えますがどうでしょうか? その"東征"の過程で、山口県内にも本部?を置いた可能性はあるかもしれません。 | |
| [4391] Re[4390]: 霊視 神奈備 | 2008/08/12(Tue) 22:00 [Reply] |
| > 邪馬台国は奈良にあったとのこと。北九州ではなく、山口というところが意外でした。 前の奈良大学の学長さんの水野正好先生は、邪馬台国の範囲として最西端を山口県とされていました。九州の東に範囲を置き、中心は奈良の大和神社付近に卑弥呼さんがいたとの説だったと思います。 霊視される方も基礎知識を入れてからなさるんでしょうかね。 | |
| [4390] 霊視 ぽんた | 2008/08/12(Tue) 15:16 [Reply] |
| 邪馬台国を霊視した本が出ましたね。 「邪馬台」は「やまたい」ではなく「やまと」だそうで、これには納得。 「やまと」は部族名で、やまと族の出身地は中国の雲南省だそうです。 卑弥呼は、春・夏には奈良の鳥見山に住み、秋・冬には山口に移動して住んでいたそうで、邪馬台国は奈良にあったとのこと。北九州ではなく、山口というところが意外でした。 | |
| [4389] Re[4383]: この手法でイザナギ、ぽろり かっぽれ | 2008/08/12(Tue) 15:04 [Reply] |
| > 日本語は、いろんな言語の寄せ溜まりですので、多くの言語をみないと、語源などに嘴を入れる資格はないのですが、この方面にタッチする人があまりにも少ないので、大野晋教授が語源をいじくる辞書を編纂するなど、ケッタイな現象が出たのでしょう。 「資格がない」とか「ケッタイ」とか。相手が反論できない場所で言いたい放題とは、うまい作戦ですね(笑) 他人(特に有名人)の業績を「ダメだ!」と否定すれば、自分が偉そうに見えると錯覚してる人はよくいますが、 そういう人に限ってその本をよく読んでいないことが多い(笑) ま、生田さんは「偉そう」じゃなくて本当に「偉い」のかもしれませんから、少し質問しますよ。 >jyan はネパール語で「いのち」です。これが i jyan-a に変化するは上で述べました。 ネパール語jyanは「いのち」で間違いないんです(精確に転写表記すると、ज्यान्←ヴィラーマ jyaan)。 しかし、この語はヒンディー語जान(jaana)の借用で、そのヒンディー語にしてもムガル朝(1521〜1858年)時代に ペルシャ語のjaanから取り入れられたという経緯があります。で、16世紀頃にできたネパール語が、日本語イザナギや イザナミの成立に関係するというところが、どうしても理解不能なんですが。 『そんなことはない!ペルシャ語jaanはもっと古代にネパール語に入ったはずだ!』と反論されるかもしれませんね。 しかし、近代ペルシャ語の前身パフレヴィー語(3〜7世紀あたり)ではgaanだったし。 ということはつまり、近代ペルシャ語からヒンディー語経由で入ったことは明らかなんです。 どうなっているんでしょう? 教えていただければありがたい。 | |
| [4388] Re[4387][4386][4381][4378]: 語源追求の罠 佐々木 | 2008/08/11(Mon) 23:59 [Reply] |
| >「イザナギ・イザナミ」の語義語源は不明としか言いようがありませんが、まずは日本語の中からパズルを見つけるべきかなあと思います。 パズルですよね。 イザが気になるので、イで石があったので、とりあえず石坐を候補として呈示します。これで磐座が抽出できます。あとナは生(成)、ギは男、ミは女。 火傷は、火山噴火とすると、縄文時代後期に石見国と出雲国境界の三瓶(佐比売)大平山が噴火しているとのことなのです。 男三瓶がイザナギ、女三瓶がイザナミ、子三瓶がカグツチ、孫三瓶がカグツチの血、死体?? とするとなんとなく合うような。 | |
| [4387] Re[4386][4381][4378]: 語源追求の罠 琉球松 | 2008/08/11(Mon) 22:21 [Reply] |
| 佐々木さん、どうもです。 「イザナギ・イザナミ」の語義語源は不明としか言いようがありませんが、まずは日本語の中からパズルを見つけるべきかなあと思います。 琉球方言であれば、久高島の秘祭「イザイホー」や「イジュン(泉)」、地名の「イゼナ(伊是名)etc」。。。 もう一つ疑問なのは「イザナミ」は出産以前からの名称なのかということです。 「ナミ」が「波風たてる・混乱」であるのならば、それは出産以後の呼び方ではないのか?「火」と関わる以前の彼女は、まだまだ穏やかな時代の象徴だったのではないのか。。。なんて考えています。 | |
| [4386] Re[4381][4378]: 語源追求の罠 佐々木 | 2008/08/11(Mon) 20:32 [Reply] |
| 琉球松さん お元気ですか >「イザナギ・イザナミ」の「イザ」は「いずる(出)」かなあ、なんて考えてますがどうでしょうか? 「イザ」の「ザ」音、は古事記ではじめて見られるのです。だから「イザ」は固有名詞または外来語ではないかと思うのですが、さっぱりこれ、わかりません。 「いざこざ」「いざというとき」の「いざ」でないかと思うのですが、「コザ」は美里村古謝にあったと思いますが、「イザ」にあたるものは琉球ではないものでしょうか。 >ナギ(凪)穏やか」?「ナミ(波)波風たてる」? これは本居宣長も同じことを示しています。 | |
| [4385] チュラカーギの「ギ」は 生田淳一郎 | 2008/08/11(Mon) 18:37 [Reply] |
| アマカネ あ、これニューギニア高地石器時代人の挨拶、イミシンにして至便です。 おっしゃるとおり「対語関係に、ある」……と、なったのです。 ところが、その根本原因を探ろうにも、今んとこ(?)けたたましい資料がないんです。 ただ一つ、 mi(アイヌ語で女陰)がある。それで この場合の gi は男だろうと。チュラカーギの「gi]には男女の区別はない。 ウンジュ、痛いトコ(説明が間に合わなかったとこ)衝いてこられますね。 マタギにも、シラギにも答えはない。 | |